里山歩き

2015年01月14日(水) 竪破山(たつわれさん)を歩く

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・集合場所:日立市十王町黒坂生活改善センター駐車場(日立市十王町黒坂168)

・コース:黒坂生活改善センター駐車場に一旦集まり、ここから5台の車に分乗して竪破山入口駐車場に移動
〜竪破山入口〜不動石、烏帽子石、甲石他〜黒前(くろさき)神社〜竪破山(658m)・山頂展望台〜
太刀割石、神楽石〜奈々久良の滝〜竪破山入口駐車場〜黒坂生活改善センター(昼食及び総会)戻りの
コースです。
 竪破山(たつわれさん)は茨城県の多賀山地(阿武隈高地)にある標高658.3mの山です。この山以南に
高鈴山(623m)を除くと600mを越える山が無く、南方から見ると目立つ山です。江戸期まで巨石・山岳信仰の
山であり、山頂には黒前(くろさき)神社があります。山頂やその周辺には太刀割(たちわりいし)石や不動石
などの大きな石があります。
 なお、竪破山から黒坂生活改善センターに戻り、センターの管理責任者から借用(駐車場を含めた予約及び
借用申請書と借用料(今回は全額で千円)が必要)した大会議室において、昼食及び次年度の活動計画などの
総会を実施しました。

・天気他:晴、9℃。 黒坂生活改善センター駐車場から5台の車に分乗して竪破山入口駐車場に移動9:35−
9:45、竪破山入口駐車場出発9:50、甲石・舟石10:20、黒前神社10:25、竪破山10:27、山頂展望台
10:28−34、太刀割石(集合写真)10:44−52、神楽石11:03、奈々久良の滝11:15−18、竪破山入口
駐車場11:45、黒坂生活改善センター11:55、センター大会議室で昼食及び総会12:00−50 。
 コース約5km、歩数計10,000歩。
 
 
黒坂生活改善センター駐車場に一旦集まり、ここから5台の車に分乗して竪破山入口駐車場に移動
〜竪破山入口〜不動石、烏帽子石、甲石他〜黒前(くろさき)神社〜竪破山(658m)・山頂展望台〜
太刀割石、神楽石〜奈々久良の滝〜竪破山入口駐車場〜黒坂生活改善センターに戻り、
センターの大会議室で昼食及び総会を実施しました。
 
竪破山入口駐車場です。
十数台の駐車が可能で、左側にトイレがあります。
 
竪破山入口を右側に進みます。左側は林道で
奈々久良の滝を見た帰りは、ここに戻ります。
 
杉林の山道を進みます。
 
7分程で不動石(横8m、縦3m、高さ1.5m)に
着きます。不動明王の石造が祀られています。
黒前神社の祭神が浜降りの時に、神輿の
休み場所であったと言われています。
 
5分程で烏帽子石(横7m、厚さ1.5m、上部斜面の
縦3m)に着きます。八幡太郎義家が竪破山の神霊
に参拝した時に、かぶっていた烏帽子に似ていた
ことからこの名がついたそうです。
 
すぐに手形石(横0.9m、縦1.4m、高さ1.5m)
に着きます。八幡太郎義家が石を押した時に
ついた右手の手形と言われています。
 
2分程で畳石(横8m、厚さ2.46m)に着きます。
畳を積重ねたように大きな石が4段に裂けるように
割れています。八幡太郎義家が腰をおろして休んだ
ので腰掛の畳石と呼ばれたことに由来しています。
 
コップが置かれた水のみ場がありました。
一口いただきましたが、外気が寒いせいか
冷たくは感じませんでした。
 
途中に炭焼き窯(昭和20年代に使われていた)
がありました。
 
やがて小さな弁天池の前に出ました。
水源は池の上台に繁茂するブナの原生林
と言われていて、泉が湧いています。
 
弁天池を通過し、右側に急な石段が付いている
明神鳥居から仁王門に向かいます。明神鳥居は
神仏分離令の後の明治2年に建てられ、神社形式
にするという苦肉の策できりぬけ現存しています。
 
仁王門です。門前には右大臣・左大臣の木造が配置
されています。明治初期の神仏分離令によって、門の
呼び名である仁王様は後方の板張りの囲いの中に
密閉し、わずか格子窓をすかして見ることができます。
 
仁王門から5分程で甲石(高さ3.5m、外周12m)に
着きます。正面に石をくりぬいた祠があり、その中に
薬師如来の十二神将像(現存は6体)が祀られてい
ます。水戸光圀翁が当初呼ばれていた仏教色の強い
竪破和光石を甲石に改名したと言われています。
 
甲石のすぐ脇に舟石(長さ4m、幅1.5m、
厚さ右50cm・左90cm)があります。
土に半分埋まっているような舟型の石で、甲石の
横が崩れて落下・移動したと言われています。
 
甲石・舟石がある比較的広い台地の奥側に
釈迦堂があり、この釈迦堂の左脇の長い急な
石段の参道を登って黒前神社に向かいます。
実は釈迦堂の右側にも山道があり登れます。
 
石段を登ると黒前(くろさき)神社の拝殿横に出ます。
黒前神社は黒坂命(くろさかのみこと)が祀られて
います。黒坂命が奥州遠征の凱旋途中に病により
亡くなった地であり、八幡太郎義家が奥州征伐へ向
かう時に戦勝祈願した地という伝説を残しています。
 
数分で竪破山(658m)山頂に着きます。
山頂には二等三角点があり、
すぐそばに展望台があります。
 
今回は立ち寄らなかったが、山頂の先の急坂を
少し下ると胎内石があります。この写真は先月
(12月22日)の下見登山の時に撮ったものです。
 
山頂展望台です。展望台からは東に太平洋、
南に高鈴山、北西に八溝山・那須連山、
南西に筑波山などが見られます。
 
北西遠方には雪に覆われた茶臼岳(1915m)
等の那須連山が見えました。その手前には
茨城県最高峰の八溝山(1022m)が見えます。
 
その左側遠方には雪に覆われた釈迦が岳
(1795m)等の塩原連山が見えました。雪山を見る
ことはめったにないので、今回はラッキーでした。
 
山頂からの下り道に太刀割石、奈々久良の滝
などの案内看板がありました。
 
ブナ林を下って、太刀割石(たちわりいし)
に向かいます。
 
やがて太刀割石(縦直径7m、横直径6m、高さ
2.5m)の前に出ました。八幡太郎義家が奥州征伐
の折、戦勝祈願のため竪破山に立ち寄ったところ、
夢の中に黒坂命が現れ大太刀を授けました。
この刀で山中にある巨石を斬りつけたところ
真っ二つに割れたと伝えられています。
 
太刀割石を横から見たものです。球形の花崗岩が
二つに割れて転がっているのは圧巻です。
実際には、風化した花崗岩の頂部に木の根が
入り開口し、片方が転倒したと言われています。
また、この太刀割石がなまって「たつわれ」と
呼ばれ、山名になったと言われています。
 
太刀割石から数分で軍配石の前に出ます。
野球のホームベースのような形をしています。
 
やがて神楽石の前に出ます。元の名を
「まいまい石」と言い、竪破山の神霊が浜降りの際、
折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、
一休みのためにお神楽を奏し神楽舞をしたとされ、
石の名前になったと言われています。
 
そのまま進むと奈々久良の滝分岐に着きました。
右に行くと奈々久良の滝とあり、
左に行くと竪破山入口駐車場に戻ります。
 
まずは右側に下って行くと、7分程で奈々久良の滝
の前に出ます。滝は2段になっていて見応えがあり
ます。上段の滝上部では滝のしぶきが氷り付いて
いました。
 
奈々久良の滝分岐に戻り、少し休憩した後に
林道を下り、竪破山入口駐車場に戻りました。